こんにちはKIKOです。いつも記事を読んでいただきありがとうございます。
志村祥瑚さんをご存じでしょうか?
精神科医、マジシャン、メンタルコーチとして活躍される志村祥瑚さんは、多くの人が持つ悩み「自分の思い込み」とい部分にフオーカスを当て、そこから解放させていくことで自身の人生が変わって行くということを唱えられてる方です。
そんな志村祥瑚さんはどんな家庭で育ったのか?また、幼少期はどう言う子だったのかなど色々と興味が湧いてきました。
そこで今回は、志村祥瑚さんの
・マジックしすぎて留年!
・医者のか家系に生まれた苦悩とは?
・精神科医になった理由は?
等について調べてみました。
目次
志村祥瑚さんマジックのしすぎで大学留年!
出典元:https://www.chichi.co.jp/info
志村祥瑚(しむらしょうご)さん実は、慶応義塾大学医学部へ進んだにも拘わらず、マジックに没頭し過ぎて留年されたそうです。
高校時代からマジック部に入部し1日8時間トランプやコインをいじっていて、親の「勉強しろ」という言葉は完全に無視だったんだとか。
そんな志村祥瑚さん、家でマジックはできないので、電車の窓ガラスを鏡代わりにして、電車の中でずっとトランプのマジックをやってたと言います。
家では勉強、外ではマジックの練習と、ご両親は祥瑚さんのマジック熱をご存じではなかったかもしれないですね?
高校3年生の文化祭で2000人ほどの観客の前で、10〜20分のショーを披露されたそうですが、その時の拍手喝采が凄く、体が一気に熱くなる感覚を覚えたそうです。
国内のマジックショーへ参加し準優勝されてもいます。
高校時代にそういう経験をされてたので、大学入学後もマジックの練習に明け暮れていたんでしょうね。
留年が決まったときには、「人生終わった」と思ったそうですし、鬱にもなってしまったんだそうです。
医者になるためのレールを歩いてきて、狭き門である慶応義塾大学に内部進学したのに留年、周りからは落ちこぼれだとレッテルを貼られ、さらに友達だと思っていた人たちは周りからサーッといなくなったそうです。
勉強で留年した分をマジックで見返したい気持ちも強くなり、カリフフォルニア(UCLA)大学ロサンゼルス校に語学留学を決意。
ですが、勉強よりもハリウッドの「マジックの殿堂」に通い修行することが本当の目的だったようですね。
2012年にはLasVegasで行われたJr.マジック世界大会で優勝されています。
小学4年生の時に父親の影響で始めたマジックで、海外で優勝するまでの実力を付けた志村祥瑚さんでしたが、その後の進路については悩まれてたようです。
医学部を辞めてマジシャンになる勇気もなく、ましてや親が許してくれるはずがないと。
志村祥瑚さん医者の家系に生まれた苦悩
出典:https://u-29.com/2021/03/02
志村祥瑚さんの人生は中学生の時には既に決まってたと言います。
母方が医者の家系であることから、母親は教育熱心だったようです。
中学受験で慶應義塾普通部に入学しその後、高校・大学まで進まれてますが将来は医者にという夢を母親は抱いてたようです。
どれくらい熱心だったかというと
「勉強では100点以外を取ってはいけない」と言い聞かされ、習い事は週に10個掛け持ちしていたので、学校が終わると校門の前で待つ母の車に乗って、習い事をはしごするような生活でした。習い事でも結果や能力を厳しく評価されたり、他人と比較される。
引用元:https://u-29.com/2021/03/02
小学生から凄いプレッシャーを感じてたたのでは?と想像しますが、本人にとっては当たり前のこととして受け入れてたのでしょうかね?
そんな志村祥瑚さんにとっての息抜きが、マジックだったんですね。
まわりの誰とも比べられない、それが気もち良かったのかもしれないですね。
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志村祥瑚さんが見つけた答えで精神科医に!
志村祥瑚さんが医者を目指すか?マジックの道へと進むか?と悩まれてた時に出会った本に書かれてたのが、「思い込みが自分の視野を狭めている」でした。
これを見た時に「これ、マジックと同じだ」と思ったんだそうです。
精神医学はマジックと同じで「思い込み」を操る職業なんじゃないかと。
ならばマジックを見せて人の思い込みを解くことができるかもしれない。
そう思ったら、一気に道が開けたと言います。
大学では「思い込み」の研究のために精神医学を専攻し、精神医学とマジックを融合させたオリジナルのメンタルトレーニングライブを確立されました。
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