南定四郎(みなみていしろう)さんは、日本で初めてLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダー)パレードを開催されたことで、伝説のゲイ活動家として語り継がれてる方です。
その南定四郎(みなみていしろう)さんが、逆転人生「魂の解放!LGBTパレードはこうして生まれた」に出演されます。
ゲイを隠し一度は異性とご結婚された経験を持つ南定四郎(みなみていしろう)さん、ゲイだと認識してからの人生はどう変わったんでしょう?
沖縄に移住したのは特別な理由があったんでしょうか?
今回は、南定四郎(みなみていしろう)伝説のゲイ活動家沖縄移住について書いてみます。
目次
南定四郎(みなみていしろう)さん伝説のゲイ活動家
引用元;https://www.huffingtonpost.jp
南定四郎(みなみていしろう)さんは、1994年に初めてプライド・パレード「第1回レズビアン&ゲイパレード」を開催しています。
当時パレードに参加することは、とても勇気が要ることで、リブ活動してる人でさえもパレードを歩くのを躊躇されたと言われています。
南定四郎(みなみていしろう)さんがゲイと認識されたのは、彼が高校を卒業して秋田地方検察庁に就職したころでした。
本屋で立ち読みした風俗雑誌に書かれている内容、そこに集まって来る人の会話などがちょうど自分と同じだと思い、それが同性愛愛者と言うことを認識されたそうです。
出典元;https://www.amazon.co.jp
それまで自分のことを得体の知れない人物だと思っていたそうなので、なんかほっとしたような感じがしたともおっしゃってました。
そこからゲイ活動していくまでにも、南定四郎(みなみていしろう)さんの苦悩がありました。
自分がゲイだと周りの人に知られることを心配して、3年ほど働いては職を変えられてたそうです。
気づかれることを心配したり、知られると首になるのではないかと思って職を転々とされてたんですね。
ゲイに対する偏見がだいぶある時代、南定四郎(みなみていしろう)さんも差別をされてると言うことは感じられてたそうです。
だからなのでしょうか?
南定四郎(みなみていしろう)さんは30代の頃に子どもを作らなければと思い、女性の方と結婚されてます。
世間体?自分を偽った生活は苦しく、二重の人格を生きていることになるわけですから!!
自然と家に帰らない日が増え、最後には自分が家を出て行き離婚ということに。
南定四郎(みなみていしろう)さん、43歳(1974年)の時にゲイだとカミングアウトされています。
同年アノンと言う誌名のゲイ・マガジンの発行・編集人として、「ゲイによるゲイのための月刊雑誌」も発行。
雑誌の背表紙に「南定四郎責任編集」と刷り込んでゲイである当事者が編集する雑誌媒体であることをアピールし、裏表紙には顔写真とも記載されています。
自分が情報発信者となりゲイへの偏見や人権を守ることを訴える活動されてたのでしょうね。
カミングアウトをするのに躊躇することはなく、むしろカミングアウトすることは百薬の長にも勝ると言われています。
ゲイは悪い事ではありません。
人権は保障されないといけません。
そのことを力強く訴え、性マイノリティの方たちの相談に乗る為の場所を四谷三栄町にアパートを借りてIGA(IGA、現国際レズビアン・ゲイ協会/ILGA)日本を設立されています。
出典元;https://www.huffingtonpost.jp
その時からパレードを開催することは一つの目標で、その目標から10年後の1994年に
「第1回レズビアン&ゲイパレード」を開催することができてます。
始めてのパレードの感想をこう言ってます。
集まったのは50人ほどしかいませんでした。
ところが新宿南口に来たら大きな歓声があがって沿道から入ってくる人がいる。ゴールの渋谷宮下公園では300人ほどに増えていましたね。
ラフォーレ原宿の前あたりで振り返ったらすごい人になってて、これはすごいとびっくりしたことを覚えています。
引用元;https://www.huffingtonpost.jp
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南定四郎(みなみていしろう)さん沖縄に移住
南定四郎(みなみていしろう)さん、46年お付き合いされてるパートナーの方と、2011年に沖縄に移住されてます。
沖縄への移住の決め手は、南定四郎(みなみていしろう)さんが狭心症で、冬の寒さがつらいからだったそうです。
冬に沖縄に遊びにいったら暖かくて体が楽ですぐに移住を決めたそうです。
ゲイのカップルは長続きしないと言われるなか、46年もパートナーと続けていけてるのはお互い相手に合わせようと努力されてきたからだそうです。
そういう相手を思う努力が生活全般にわたっていたので、これだけ長く続いてるんだそうです。
これは男女間の結婚や国際結婚などでも言えることで、お互いを思いやる気持ちが大切ですよね。
現在89歳になられる南定四郎(みなみていしろう)さん、沖縄でもLGBTの方達の相談のために毎月1回、日曜日に自宅を開放してたそうですが、人数が増えてきたことでカフェ(空飛ぶ船)を作られたそうです。
以前、雑誌アノン作った経験から沖縄でも「空飛ぶ船」というタイトルで地方独自のやり方を工夫し情報発信していく試みを現在されてるそうです。
地方に住むセクシュアルマイノリティは東京よりも生きづらい環境にいると思います。沖縄で出来ることは、他の地方でもきっと出来る。それぞれの地方がそれぞれの地方らしい取り組みを成功させるきっかけになればいいと思います。
引用元;https://www.huffingtonpost.jp
プロフィール
名前;南定四郎(みなみていしろう) |
生年月日;1931年 現在89歳 樺太生まれ |
1972年;(株)椿出版を設立、月刊誌(ADON)ゲイマガジンを創刊 |
1996年廃刊。 |
現在、人権アクティビスとの会・事務局長 |
著書;「エイズとともに生きる」(ポプラ社)共著「エイズを知る(角川書店) |
LGBTを含む性的マイノリティは世界中にいるなか、日本はまだまだ後進国で色々解決しなくてはならない問題が山積みだと言われています。
南定四郎(みなみていしろう)さんが歩んできた道、辛い理不尽なことも多くあったのではないでしょうか?
知らないから間違った情報も入ったりします。
自分とは違う性マイノリティの方達もいるんだと、共感できなくても認め理解することは大切ですよね。
逆転人生!LGBTパレードはこうして生まれた」に出演される、南定四郎(みなみていしろう)さんが、どんなお話されるのか聞いてみたいですね。
2020年11月30日(月) 22時00分~22時45分の放送でご覧いただけます。
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