こんにちは、KIKOです。いつも記事を読んで頂きありがとうございます。
カネテツデリカフーズの村上健(むらかみけん)会長が、『カンブリア宮殿』4月20日(木)23:06〜23:55に出演されます。
リスク管理の甘さから1998年に経営破綻をするも、そこから立て直し今では見た目も味も本物のカニそっくりというカニカマ「ほぼカニ」で新たな市場を創られています。
現在ほぼシリーズとして、「ほぼホタテ」や「ほぼうなぎ」「ほぼカキフライ」など、本物そっくりのフェイクかまぼこを次々発売し、売り上げを伸ばしてるようです。
今回はカネテツデリカフーズの村上健会長の気になる
・大学
・経歴
・結婚
・中島らもとの関係とは?
等について調べてみました。
目次
村上健(カネテツ)会長 大学
村上健(カネテツ)会長の卒業された大学は確認できませんでした。
灘中学・高校を卒業されているようで、偏差値も中学で73、高校は79と全国トップレベルの学力の高い学校を卒業されています。
村上健(カネテツ)会長 経歴
村上健(カネテツ)会長は兵庫出身で、1952年生まれで今年71歳になられます。
1982年にはアメリカへ留学もされてたようです。
1989年に3代目社長に就任。
2019年12月カネテツデリカフーズ株式会社会長就任。
カネテツデリカフーズ株式会社沿革
・1926年:初代社長故村上鐵雄、西宮市において練製品製造業を創業する。
・1944年:戦時企業統制令により神戸かまぼこ株式会社に統合、社長に就任。
・1948年:統制経済解除でかねてつ蒲鉾株式会社を設立。
・1950年:神戸市兵庫区神明町に神戸工場を建設完了し本社社屋も同敷地内に移転する。
・1951年:キャラクター『 てっちゃん 』誕生。
この時点ではまだ、てっちゃんと呼ばれていない。
・1953年:西宮市津門住江町に新西宮工場を新設。
生産を開始する。
・1959年:てっちゃん テレビ進出(てっちゃんの唄誕生)
練製品業界では初めてマスメディアによりイメージ広告を導入。
・1967年:名古屋販路拡大・名古屋営業所ビル建設。
かねてつ食品株式会社に社名変更。
・1971年:西宮工場事務所新築する。
初代社長村上鐵雄死去により従六位勲五等に叙せられ瑞宝章を授与せられる。
同月村上忠雄社長に就任。
・1985年:CI導入により、カネテツデリカフーズに社名変更。
企業イメージのリニューアルを実施。「シーフードの新しい波」
・1989年:村上 健、社長に就任。
・1990年:六甲アイランドに、六甲工場完成。
・1995年:本社機能を六甲工場へ移転。
・2006年:「ISO22000」認証取得。
・2007年:「鱧板」が全国蒲鉾品評会にて”大阪府知事賞”受賞。
・2009年:「油で揚げていない」シリーズ発売。
・2010年:「紅白恵比寿セット」がモンドセレクションにて”金賞”受賞。
・2011年:てっちゃん60周年を迎える。
「海鮮揚げだし」「恵比寿伊達巻」がモンドセレクションにて”金賞”受賞。
・2012年:てっちゃん工房オープン。
・2013年:「はも板 焼」が全国蒲鉾品評会にて”農林水産大臣賞”受賞。
・2014年:「ほぼカニ」発売。
・2015年:エキマルシェ新大阪に直営店舗”ネルサイユ宮殿”オープン。
・2016年:女子栄養大学との産学連携協定を締結。
・2017年:創業90周年。
VIを実施。ドルフィントレーディング株式会社を子会社化。
・2018年:FSSC22000・JFS-C・ISO22000の3つの認証取得。
・2019年:村上 寛、社長に就任。
・2021年:てっちゃん70周年を迎える。
株式会社合食との業務提携契約を締結。
カネテツ動画広告が「YouTube Works Awards Japan 2021」
Breakthrough Advertiser部門 部門賞を受賞。
国立大学法人滋賀大学との産学連携協定を締結。
・2022年:ひょうごオンリーワン企業に認定。
業界初のプラントベース商品「Vegesh カレーフライ」発売。
「ほぼカニ」が第73回全国蒲鉾品評会にて最高賞“農林水産大臣賞”受賞。
「ほぼカニ」が日本ネーミング大賞 2022にて最優秀賞”受賞。
・2023年:「ほぼカニ」が第41回食品ヒット大賞にて優秀ヒット賞受賞。
「ひょうご産業SDGs推進宣言事業」に登録。
村上健(カネテツ)会長 結婚
村上健(カネテツ)会長は創業家の娘婿のようなので、入婿として村上家へ入られてるようですね。
奥様や子供の情報など見当たりませんでしたが、現在のカネテツデリカフーズ株式会社の社長は村上寛氏となってるので、息子さんがいることは確認できます。
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村上健(カネテツ)会長と中島らもとの関係とは?
中島らもさんは日本の小説家、劇作家、随筆家、広告プランナー、放送作家、ラジオパーソナリティ、ミュージシャンと活躍されてたかた。
村上健(カネテツ)会長と中島らもさんは灘中・高の同級生という縁で、当時広告代理店で働いてたことっもあり、若者向けの雑誌『宝島』に、新聞記事もどきの広告「啓蒙かまぼこ新聞」の連載を始めています。
1980年代半ばになると練り製品離れが始まり、友人として力になりたいという思いがあったようです。
かまぼこなどの練り製品に興味を持たない読者に対し、あの手この手の奇手奇策を凝らした内容が話題となると共に、全国区の知名度を得ることができたようですね。
※中島らもさんは、2004年7月16日未明、階段から落ちて脳挫傷による外傷性脳内血種のため入院、15時間に及ぶ手術を行うも意識が戻らず。
2004年7月26日52歳で永眠されました。
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