8月24日から開催される東京パラリンピック車いす陸上400mと1500mへ上与那原寛和選手が出場されます。
31歳から協議を始めたにも拘わらず、その才能はすぐに開花され初出場の北京オリンピックでは、マラソン(T52)で銀メダルを獲得すると言う実力のある選手です。
50歳で迎える東京パラリンピック、挑戦し続けることの大切さや負けない体作りをしてきた上与那原寛和選手に注目してみました。
今回は「上与那原寛和年齢への挑戦!出身・経歴・結婚について」について書いてみます。
目次
上与那原寛和年齢への挑戦!
出典元:https://mainichi.jp/graphs
プロフィール
名前 | 喜友名寛和(きゅうなひろかず) |
出身 | 沖縄市 |
生年月日 | 1971年5月22日 |
身長 | 170㎝ |
所属 | 所属SMBC |
公式サイト | 公式WEBサイト |
50歳の挑戦!年齢と共に記録も伸び悩んでくると思うのですが、上与那原寛和(うえよなばるひろかず)選手は挑戦することを諦めずトレーニングを続け今回も代表入り獲得されています。
今回の東京パラリンピックで4大会連続出場になる上与那原寛和選手、その実力は世界大会でも証明済み。
パラリンピックが1年延期されたことで、更に強くなり戻ってきたという上与那原寛和選手。
強さの秘訣はバランス感覚、トップスピードでも崩れないいバランスが強み。
特にコーナーを走るときには遠心力で外に引っ張ら、大きく膨らんだ走りになりがちですよね。
それでも東京パラリンピックで金メダルを手にするためには、さらなる進化が必要ということで直線のスピードアップ、1周おきに400mの全力疾走を繰り返すインターバル走でスピードを強化しています。
車いす陸上選手に必要なグローブも改良されたことで、自由に腕を動かすことができ回転数も上がってきてると言います。
効率をギリギリまで追求して体得した「空気抵抗の少ないフォーム」とリーチの長さを生かした「腕の回転数の多さ」で鮮やかに追い抜くレース展開が得意とする上与那原寛和選手。
50歳での挑戦、上与那原寛和選手はこう言ってます。
「諦めるのは簡単だが、続けるのは難しい。しっかり鍛えながら夢を持ち続ければ、それは叶う」
上与那原寛和選手の出身は?
上与那原寛和(うえよなばるひろかず)選手の苗字を聞くともう沖縄ですよね。
沖縄県沖縄市の出身ということですが、閉幕した東京オリンピックでは空手・型の喜友名諒選手が金メダル獲得されました。
同じ県民・沖縄市出身として、上与那原寛和選手も次は自分の番だと言う気持ちになられてるかもしれないですよね。
上与那原寛和選手の経歴
去年の世界選手権では1500mで銀メダルを獲得✨
東京パラリンピック出場に内定した
48歳の鉄人レーサー💪さらなるスピードアップを目指すため
改良を加えた新たな武器とは❓東京で北京パラ以来の表彰台を目指す
上与那原選手の挑戦を追った🔥 pic.twitter.com/S0gwdxBYY4— 【公式】「ストロングポイントX」(BS日テレ) (@StrongPoint_BS) February 21, 2020
上与那原寛和(うえよなばるひろかず)選手、建設会社で務めていた2000年の28歳の時、雨の夜道をバイクで帰宅途中、前の車を追い越そうとして対向車と接触。
首の骨折により頸椎を損傷、腕はひじより先、体は首から下が麻痺し腹筋と背筋はほぼ利かなくなると言う大きな事故で車いす生活になりました。
車いす陸上との出会いは、リハビリをされてるときに先輩ランナーに勧められたのがきっかけだそうです。
声をかけてもらった時には、「こんな体じゃできないでしょう、こんな車いすだし」と思ったそうですが、競技用の車いすを見せてもらうとすごいと思いリハビリ感覚で始めたと言います。
もしかしたら陸上用の車いすが、自分の生きる自信に繋がるかもしれないと思われたのかもしれないですよね?
上与那原寛和選手の凄いのは、本格的に車いす陸上を始めるとその才能はすぐに開花していき競技歴わずか1年で車いすマラソンの大会で優勝されてるんですよね。
リハビリになればと始めたのに、競技用の車いすの魅力に思いっきるハマってしまうことに。
風に乗ったときのスピード感が気持ち良い、地方の大会に出るのも新鮮な経験だったことで、一度は終わったと思った人生の新しい扉が開いていったと言われてます。
2007年には家族とも相談し、仕事を辞めて競技に専念することを決心されています。
そして結果はすぐに2008年北京パラリンピックで、初出場で銀メダルを獲得すると言う素晴らしい成績を残しています。
その後マラソンからトラックへと転向されました。
上与那原寛和選手の成績
2008年:北京パラリンピック マラソン(日本記録)銀
2014年:仁川アジアパラ陸上競技大会 400m銀、800m金
2015年:陸上競技世界選手権大会(ドーハ) 400m銀、1500m銀
2016年:世界選手権大会(ニュージーランド) 800m銀、1500m金
2016年:リオデジャネイロパラリンピック 400m6位、1500m4位
2017年:陸上競技世界選手権大会(ロンドン) 400m銅、1500m銅
2017年:IPC2017陸上競技世界選手権大会ロンドン400M・1500M銅メダル
2018年:10月 アジア大会・インドネシアジャカルタ400M5位、800M2位
2021年:東京パラリンピック 男子400m・1500m/T52 日本代表
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上与那原寛和選手結婚
上与那原寛和(うえよなばるひろかず)選手は2歳年下の方と結婚をされて二人の子どに恵まれています。
事故を起こした2000年当時、お子さんの年齢は2歳と4歳。
現在23歳と25歳になられていると思います。
上与那原寛和選手が前向きになるキッカケも、妻の支えや小さなお子さん達がいてくれたから自分にできることを一つ一つやって行こうと誓ったんだそうです。
子供たちは父親の頑張る姿をみて育ち、今現在も車いす陸上でトップにいることを誇りにおもわれてるのではないでしょうか?
仕事を辞めて車いす陸上に専念することを承諾した奥様の逞しさと言うか、懐の深さというものを感じてしまいました。
そして家計をささえてきたのはパートで働く奥様の収入。
東京パラリンピックでの金メダルが、奥様への一番のプレゼントになるのかもしれませんね。
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