折茂武彦の若い頃は傲慢だった?引退した現在の生活や家族について

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バスケ界のレジェンド、折茂武彦さんが逆転人生5/31月22:00〜22:45に出演されます。

 

男子バスケットボール界に歴史を刻んだ折茂武彦さん。

 

Bリーグ最年長の49歳と言う記録や、正確なスリーポイントシュートを武器に前人未到の通算10000得点をマークするなど、素晴らしい成績を残されています。

 

そんな折茂武彦さんがバスケットを始めたのは、丸坊主が嫌だっからだそうですよ。

 

中学に入ると、母親からスポーツの部活に入りなさい!!と言われ、だったら兄が既に中学でバスケを始めてたこともありバスケット部に入部されたんだそうです。

 

バスケット大好き少年ではなかったんですね。

 

折茂武彦さんは大学卒業後、トヨタ自動車、レラカムイ北海道、レバンガ北海道とチームを経て、27年間の現役生活を終えて引退することになりました。

 

バスケ界のレジェンドも若い頃は傲慢だったとの声もあるようですが、現在の彼からはちょっと想像できないですね。

 

そこで今回は「折茂武彦の若い頃は傲慢だった?引退した現在の生活や家族について」書いてみます。

 

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折茂武彦さんの若い頃は傲慢だった?

出典元;https://bibitobleague.club/archives/253

 

折茂武彦さんの若い頃、トヨタ自動車でプレーしたいた時代は見た目も茶髪にピアス、そして細い眉。

 

当時の若者の、流行の最先端の姿そのものだったようで、プレーでも「負けず嫌いで、勝ちたい気持ちが強く」それが前面にでているようなプレーヤーだったそうです。

 

審判の笛に納得できなければ、暴言を吐き、ボールをぶつけることもあったんだとか。

 

また、客席にボールを投げ込んだり、敗戦に激昂し、チームメイトが整列して客席に挨拶するなか、ひとり憮然とロッカールームに戻ったこともあったそうです。

 

「誰かのためにプレーしたことなどなかった」と語る折茂武彦さん。

 

そんな態度や言葉が傲慢と若いころの折茂武彦さんの印象を与えていたのかもしれません?

 

そんな昔の自分に対して、こう言われています。

 

「負けず嫌いで、勝ちたい気持ちがそれほど強かったとも言えますけど、人としては未熟ですよね。若かったので、バスケットプレーヤーとしては今より優れていた部分があったかもしれない。でも、人間的には、まったくもってマズい。あのころの自分に、もし声をかけられるなら? 『ちょっと考えたほうがいいよ』ですかね(苦笑)」

引用元:https://sportiva.shueisha.co.jp

 

スポーツの世界は勝って結果を残して、周りに認められる世界でもあるので、折茂武彦さんにとっては、ゲームで勝つこと以外は考えられない、考える必要もないと思われてたのもかもしれませんね?

 

そんな傲慢な気持ちを変えてくれたのはファンの存在だったと語られてる折茂武彦さん。

 

2007年、トヨタ自動車からレラカムイ北海道へ移籍し札幌でのドーム開幕戦でのこと。

 

定員を超える観客の数に感動、こういう景色の中でプレーし応援してもらうことがホームなんだと今まで感じたことのない衝撃が走ったと。

 

開幕から11連敗にも拘わらずファンの方が行列を作り応援をしに来てくれる、北海道に来た折茂武彦さんに「ありがとう」と言うファン。

 

そこから傲慢だった気持ちも変わり、ファンのために最後まで諦めない姿を見せてプレーすることが自分の使命だと思うようになったんだそうです。

 

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プロフィール

名前 折茂 武彦(おりも たけひこ)
出身地 埼玉県上尾市
身長・体重 190cm 77kg
生年月日 1970年   5月14日
学歴 埼玉栄高校→日本大学卒
プロ入り・デビュー 1993年

折茂武彦さんはなぜ引退したのか?

 

折茂武彦さんの引退会見での理由

 

レバンガ北海道にとってもチームが変わらなければいけない中、これからは若い選手がチームを引っ張っていかなければいけないと思っていたので、今シーズンでけじめをつけたいという思いがあり引退を決断しました」と語ったが、実はもう一つ、隠された決定的な理由があった。

引用元:https://jbpress.ismedia.jp

 

本当の引退理由は、違うところにあったといえるかもしれません。

 

それは折茂武彦さんの病気「間質性肺炎」と診断され、これ以上プレーが出来ないことが一番の原因なのではないでしょうか?

 

ご本人の説明では、「肺に穴が空き、ハチの巣状に壊れていってしまう病気で、進行すると呼吸困難が進行し、死に至るということ。」

 

折茂武彦さんの肺は、右の肺の3分の1程度が壊れていたそうで、壊れた肺は元には戻らないと言われてました。

 

不幸中の幸いで、早期発見だったことが症状を悪化させずに済んだようですが、こじらせると「急性増悪」という状態に陥り、肺炎を併発して命の危険に晒されるといわれてます。

 

病名が分かり、じゃ、薬を服用しながらバスケができるのか?とも考えられたはず。

 

残念なことに、この病気の治療にはステロイド系の薬で炎症を抑える対症療法が基本なんだそうです。

 

ステロイドと言えば、筋肉増強剤とし作用してしまうためアスリートの人は使用できないうことなんですね。

 

色々な思いが交差されたのではと想像します。

 

何故こんな病気になったのか?

 

何かがプツリとキレたような感覚だったという折茂武彦さん。

 

突如突き付けられた命の危機、自分の役目はここまでなのかなと、年齢を重ねる毎に考えてた引退の時期。

 

それが病気になった今が、タイミングだったのでしょうね?

 

引退の本当の理由は、「間質性肺炎」で、プレーが出来ないから?

 

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柔道引退後アパレル社長に転身の岡田由美さん

折茂武彦さんの現在の生活や家族について

出典元:https://sapporoyard.com

 

折茂武彦さんは現在の生活は、株式会社北海道バスケットボールクラブ』レバンガ北海道の代表取締役社長として、コートの外からのチーム運営をすること。

 

レラカイム北海道へ移籍したものの、後に経営難でリーグから除名を受け存続の危機が迫る中、折茂武彦さんは自らが代表となりチーム・レバンガ北海道を立ち上げました。

 

それが2011年5月の事、そこから選手と社長と言う二足の草鞋で活動されてましたが、本人にかかる負担は相当あったのではないかと想像します。

 

現役時代は一度も頭を下げたことなどない折茂武彦さん、スポンサー探しに何度も頭を下げチームの存続を願いまわった日々。

 

全ては北海道のファンのために、チームを残したいという思いから。

 

頑張れを後ろ読みしたのが、レバンガと言うチーム名。

 

その由来はずっと応援してもらえるようにとの願いから。

 

家族との二重生活?

 

折茂武彦さんには奥様二人の息子さんがいるようです。

 

単身生活をされてる北海道ですが、家族は折茂武彦さんの出身埼玉県で生活されてるのかもしれません。

 

奥様は肝の座った方のようで、折茂武彦さんがレバンガ北海道の経営で苦しいときに私財を使うということに反対をせず。

 

あなたがバスケで苦労して稼いだお金なんだから自分で使えばいいよ。失敗したら帰ってくればいいんだからと言って背中を押してあげた奥様。

 

こどもが小さい頃は、休みになると一緒に出かけては普段会えない時間を思いっきり満喫されていたようです。

 

長男?次男?どちらかは分かりませんが、大学3年生になる息子・佑飛さんはバスケットをされてるんですね。

 

B.LEAGUE AWARD SHOW 2019-20が5月8日オンラインで行われた際には、誇りであり憧れであり自慢の父として祐飛さんのメッセージが読み上げられました。

人物
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