こんにちは、KIKOです。いつも記事を読んで頂きありがとうございます。
武部聡志さんが「関ジャム 完全燃SHOW」11月26日(日)23:00〜23:55放送に出演されます。
音楽プロデューサー、作・編曲家として日本でもっとも多くのボーカリストと共演してきた音楽家としても有名、あの松任谷由実さんが絶大な信頼を寄せてる方でもあります。
そんな武部聡志さんは結婚されてるのか?またかまやつひろしさんとの関係なども気になったので、今回は武部聡志さんの気になる
・経歴(生い立ち)
・結婚(妻・子供)画像はあるの?
・かまやつひろしとの関係は?
等について調べてみました。
目次
武部聡志さん経歴(生い立ち)
武部聡志さんは赤ちゃんの頃から母親におんぶされながら、4歳上の兄のピアノ教室に通われてたことから、絶対音感も養われたのではないかと話されてます。
3歳でエレクトーン教室に通い始め、4歳からはピアノを始められています。
兄の影響で、小学校3年生くらいからベンチャーズに代表されるエレキ・ブームに触れるようになり、当時譜面がなくても耳で聴いてパッとコピーできたんだそうですよ。
そんな兄弟に父親は、エレキギターとアンプを買ってくれたんだとか。
それで夢中になって練習されてたそうです。
中学は受験をされて麻布中学へ進学も、ピアノの練習は毎日されてたそうです。
それだけピアノが大好きで、受験の勉強のストレス発散にもなってたのだとか。
父親はいい中学・高校に入り、大学は東大へという思いを持たれてたようなので、ピアノをやることに反対されてたそうです。
中学入学後、世の中の音楽はサイケデリック・ロックやアート・ロックと呼ばれていて、ジミ・ヘンドリックスやクリーム、そしてウッドストックという時代。
そこをリアルタイムで経験したことが、ミュージシャンになる上で非常に大きかったと思いと話されてました。
高校も麻布高校へと進学、そして音楽への関心は増していき、中学時代に始めたコピーバンドは高校でも継続されギターを担当。
当時はロック・ミュージシャンに憧れてたそうで、ロンドンブーツを履いて、ラメのジャケットを着て高校へも通ってたそうです。
現在の武部聡志さんからはちょっと想像つかないですね。
1975年、国立音楽大学教 育学部教育音楽学科入学。
中学全教科と高校音楽の教員免許を持ってるそうで、麻布中学校へ教育実習へもいかれたそうです。
在学中、アマチュア・バンドで活躍しオリジナルを作って演奏。
18歳の時までロックバンドしか聴いてなかったのが、スティーヴィー・ワンダーさんの曲を聴いたことで、「こんな音楽があるんだ」とものすごくショックと、新鮮な気持ちを受けたそうです。
彼の曲を聴いてなければキーボーディストになっていなかったとも話されています。
大学在学中から活躍し、数多くのアーティストを手掛けてますが、デビューされたきっかけは
1977年20歳の時。
かまやつひろしさんやユーミンさんがリハーサルを行ってるリハーサルスタジオへ出入りしていたことで、かまやつひろしさんのバンドメンバーと知り合うことに。
また、バンドのキーボード担当だった山本達彦さんがデビューすることになり、新しいキーボードを探されてるときに音大出身の武部聡志さんに声がかかりバンドメンバー入りをされています。
かまやつひろしさんの紹介により清水健太郎さん、久保田早紀さん、寺尾聰さんののバックバンドに参加。
1980年23歳には「ハーフトーンミュージック」を設立。
芸能界入りはバックミュージシャンでしたが、その後アレンジャー、プロデューサーと活動の幅をど広げています。
1983年に松任谷由実さんのコンサートツアーの音楽監督を担当。
1985年には斉藤由貴さんのデビューシングル「卒業」を編曲。
1983年から1988年ころまではアイドル・ポップス全盛の時代、一番仕事をした年で年に250曲アレンジされてたそうです。
そんな忙しい環境のなか、アレンジを頼まれる仕事と一旦距離を置くことに。
そして、自身がサウンド・プロデューサー、プロデューサーという形で仕事をしていく方向へシフトされています。
一番最初にそういうスタンスで仕事をされたの本田恭章さんだそうです。
1990年にKATSUMIさん、大黒摩季さん、今井美樹さん、小嶋希代子さん(現marron)などを担当。
1992年には髙嶋政宏のデビューアルバムのプロデュースを担当する。
2002年には一青窈さんをプロデュースし、以降、実質的に専属プロデューサーとなる。
2006年にNHK総合テレビのドキュメンタリー番組『プロフェッショナル 仕事の流儀』の主題歌のために、スガシカオらと音楽ユニットkōkua(コクア)を結成、シングル「Progress」をリリース。
武部聡志さん自身の曲は
1988年に初のオリジナルアルバム『Clara』発表。
2003年と2004年にオリジナルアルバム発表
2007年には生誕60年を記念するコンピレーションアルバムを発表。
2009年から日本工学院専門学校において、ミュージックカレッジ・エグゼクティブアドバイザーを務める。
武部聡志さんの妻や子供の画像はあるの?
武部聡志さんは結婚されてるようですが、妻や子供の情報はネット上に開示されてないようで、画像などの情報も見当たりませんでした。
結婚されてるんだなという情報は、今井マサキさんのオフィシャルブログより、お正月恒例の挨拶まわりで武部家に出かけられた時の様子を書かれてたことで確認できました。
今井千尋、英子夫妻と息子、うちの家族で我らが武部聡志さんのお宅に毎年恒例のご挨拶。
武部さんの息子さんもでっかくなってて、みんなで風船バレーやったり家中を飛び跳ねてみたり。
あの日本を代表する音楽プロデューサー武部聡志氏が必死に風船を追っかけてる姿はある意味貴重ですよ。
引用元:https://plaza.rakuten.co.jp/imaimasaki/diary/200901010000/
何かほのぼのとした情景が浮かんできますよね~
武部聡志さんとかまやつひろしさんとの関係は?
武部聡志さんにとってかまやつひろしさんは、音楽家としてデビューするきっかけを与えてくれた方であり、プロとしてのキャリアをスタートさせてくれた方です。
そして、かまやつひろしさんの紹介でユーミンさんとも知り合い、一緒に仕事をされるまでにもなりました。
また、田辺エージェンシーのタレントのバックバンドをやるようになり、その中で色々な人と仲間になるという繋がりもできていきます。
そして早いうちに「ハーフトーンミュージック」を設立されたのも、かまやつひろしさんのアドバイスがあったからのようです。
「ミュージシャンとは別のレールも考えた方がいいぞ、ミュージシャンだけだと食えなくなる時が来るから」と言われたんだそうです。
ずっと売れ続ける、ヒット曲を作り続けることの難しさを身をもって感じられてたからのアドバイスだったのかもしれないですね。
かまやつひろしさんと出会い音楽家としてデビューし、会社も設立、現在では作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、音楽監督と、幅広く活躍されるまでに。
武部聡志さんはかまやつひろしさんのことを、こんな風に思ってるようです。
僕は父を早くに亡くしているんですよ。麻布中学に入学したのを見届けて彼はあの世に逝ってしまいました。その麻布の進学コースから外れ、音楽に傾いていった自分を世の中に送り出し、音楽家として誕生させてくれたのがムッシュです。だから、僕にとってはもうひとりの父親のように感じているんですよね。
引用元:https://monsieur.jp/walk_again/talkingabout/008takebesatoshi.html
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