こんにちはKIKOです。いつも記事を読んで頂きありがとうございます。
東京パラリンピックで活躍された村岡桃佳さん、今度は北京パラリンピックへ出場される二刀流の選手です。
スノーボードの平野歩夢選手も二刀流に挑戦し、スノーボードで金メダルを獲得されましたよね。
二刀流挑戦の村岡桃佳選手への期待も高まってる今回の北京パラリンピック、活躍する姿を楽しみにしています。
今回は村岡桃佳選手の気になる
・かわいいけど彼氏いる?
・学歴
・障害の理由
・二刀流に挑戦した理由?
と題して調べてみました。
追記
祝:アルペンスキー女子滑降で日本人第一号の金メダル獲得されました。
おめでとうございます。
目次
村岡桃佳選手プロフィール
名前 | 村岡桃佳(むらおかももか) |
生年月日 | 1997年3月3日 25歳(2022年3月現在) |
所属 | トヨタ自動車 |
競技 | アルペンスキー |
出身地 | 埼玉県 |
学歴 | 大学院博士課程在学中 |
パラ代表歴 | ソチパラ、平昌パラ、東京パラ |
村岡桃佳選手かわいいけど彼氏いる?
出典元:https://www3.nhk.or.jp/news/special/beijing2022/special/32/
出典元:https://www.works-i.com/works/series/karera/detail006.html
出典元:https://twitter.com/fukkachanpr/status/1155361687643410432
村岡桃佳選手、いろんな表情を見せてくれてネットでもかわいいと評判ですね。
地元深谷市のイメージキャラクター「ふっかちゃん」との笑顔もかわいいです。
そんな村岡桃佳選手の彼氏は誰?と気になり調べてみましたが、彼氏情報は見当たりませんでした。
東京パラリンピックにも出場され認知度も上がり注目されてるだけに、プライベートな面もニュースになりそうな感じですが、、、
現在、早稲田大学院にて博士課程取得のため勉強中でもあり、練習中心の生活を送られてきてるため、なかなかチャンスがないのかもしれないですね?
村岡桃佳選手学歴
村岡桃選手は埼玉県出身で、地元の深谷市立川本北小学校を卒業し、深谷市立川本中学校と進学されています。
高校受験を前に希望校でもあった早稲田大学本庄高等学院へと考えてたようですが、当時の校舎はバリアフリー化していなかったため、進学を断念されています。
その後、私立の正智深谷高等学校に入学し、偏差値は48~62。
特進コースと総進コースがありますが、卒業生にはお笑い芸人の土田晃之さんやプロサッカー選手のや内田航平選手やオナイウ阿道選手がいます。
因みに制服はコムサ・デ・モードによるデザイン、村岡桃佳選手の制服姿も可愛かったでしょうね。
出典元:https://shochi.jp/schoollife/uniform/
正智深谷高等学校でも村岡桃佳さんの活躍は、刺激や大きな励みになってたのではないでしょうか?
そんな正智深谷高等学校のブログには、校長先生が書いた教師冥利というタイトルで村岡桃佳選手について書かれています。
正智深谷高ブログ
https://shochi.jp/2021/0615_26883/
高校卒業後はパラスポーツ選手として初めて「トップアスリート入試」に合格し早稲田大学スポーツ科学部に入学されています。
また、早稲田大学スキー部への入部は完全な寮生活、当時はバリアフリー化毛はなく監督の倉田秀道氏からも難しいいと言われたそうです。
ですが、そこで諦めない村岡桃佳選手の気持ちに打たれ、倉田秀道監督は大学へ寮のバリアフリー化を打診。
総額600万円のうち、500万円を大学側が負担、残り100万円を匿名の寄附により賄われたことで、キャンパスのバリアフリー化を実現し村岡桃佳選手は入寮、倉田秀道監督の指導を受けられることになりました。
倉田秀道監督に元指導を受けた選手にはノルディック複合の渡部暁斗・渡部善斗兄弟を始め、日本の一線級のスキー選手を育成してることでも知られています。
出典元:https://smtrc.jp/town-archives/city/takadanobaba/p05.html
村岡桃佳選手障害の理由
村岡桃佳さんが障害を負ったのは4歳の時でした。
突然足が重く歩けなくなったのは、近所のスーパーへ買いものに出かけた時の事。
病院での診察を経て診断されたのは、「横断性脊髄炎」そのため下半身まひにより歩けなくなると言う病気です。
横断性脊髄炎は老若男女、および人種を問わず起こる病気で、遺伝的な要因も見られないそうです。
原因不明の発症は、ある日突然、交通事故に遭ったような感じだと思います。
その後車いすでの生活が始まりますが、元々明るい性格で外で遊ぶのが好きであったのが、周りから気を使われるようになってから外に出ることが怖くなり、引きこもりがちだったと言います。
車椅子生活を余儀なくされた村岡桃佳選手の気持ちを少しでも理解したいと、父親の秀樹さんは車いすを使ったスポーツを娘と一緒に始めたそうです。
人前に出るのが怖いと思ってた気持ちを変えてくれたのがスポーツで、父親には凄く感謝されてると言います。
父親の優しさをとても感じますよね。
陸上から始め、テニス・冬はスキー。
小学3年生でチェアスキーに出会い、魅了されていくことに。
中学に入りチェアスキーを本格的に始めれてますが、キッカケは森井大輝(たいき)選手に憧れたからだそうですが、本気で争える環境が楽しかったそうです。
ソチオリンピックでは、あこがれの森井大輝選手と日本代表として出場もされてるので素晴らしいいですね!!
性格的に負けず嫌いなんだそうで、車いすでおにごっこをしていても掴まれるのが嫌で、自分が鬼になると、死ぬ気になって追いかけてたそうですよ。
でも、表に出すのはイヤなタイプで、多分カッコつけたがり?見栄っ張り?なところは昔からあるんだとか。
強い選手のあるあるストーリーのようですね(笑)
森井大輝選手、6度目のパラリンピック念願の金メダル獲得へチャレンジ
村岡桃佳選手が二刀流に挑戦した理由は?
出典元:https://news.ntv.co.jp/category/sports/e0c8a02f4c
村岡桃佳さんが二刀流に挑戦された二つの理由がこちら!!
◆東京パラリンピックの開催
◆平昌パラリンピックで見せた自身の活躍
自国開催のパラオリンピックを経験するのはめったにない事。
パラアスリートなら誰もが出場してみたいと思うはず、かといって誰もが挑戦できるものでもないですよね。
村岡桃佳選手は既にアルペンスキー女子滑降(座位)では世界トップクラスで戦う選手です。
2018年の平昌パラリンピックで女子大回転(座位)での金メダルを含む出場全5種目でメダルを獲得もされ実績のある選手。
そんな時に、次の目標を考えた時に北京より先に浮かんだのが陸上だったそうです。
競技レベルでしっかり取り組みたいと言う気持ちが強かったそうです。
実は二刀流宣言は2019年4月、平昌パラリンピック後のIPCアルペンスキーワールドカップで初めてシーズン総合優勝を飾った直後。
周りや自分自身へのプレッシャーが大きくのしかかり、好きなスキーを嫌になってると感じ始めスキーと距離を置いた方がいいかもしれないという思いも陸上への再挑戦を後押ししたと言います。
結果的に陸上に挑戦したことでスキーの楽しさを取り戻し、「やっぱり雪上にいるのが好きなんだな」ということを再確認できたそうです。
村岡桃佳選手が出場するアルペンスキー(座位)は開会式翌日の5日に行われるそうです。
頑張って欲しいですね!
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