こんにちはKIKOです。いつも記事を読んで頂きありがとうございます。
上山博康医師は主治医が見つかる診療所のレギュラーとしてお馴染みですが、スーパー脳神経外科医としても知られています。
特に動脈瘤のクリッピング手術では年間300件・累計20,000近い手術を行い、「脳血管に関わる手術で日本一」「匠の手を持つ脳外科医」とも呼ばれているんですね。
そんな上山博康医師、仕事柄超多忙で家族との時間も作れずに来たのでは?と想像してましたが、意外にもそうではなかったようです。
そこで今回は上山博康医師の気になる
・経歴
・学歴
・妻や子供
・現在も診察してる?
などについて調べてみました。
目次
上山博康(脳神系経外)医師の経歴
上山博康(脳神経外科)医師は、1948年青森県五戸町産まれで、今年74歳になられます。
幼い時から絵が得意で、北海道旭川北高等学校時代には、美術の教師に画家を目指すべきではと言われるほどだったそうです。
後に絵の才能を生かし、医学の専門書の脳手術のイラストも描かれています。
将来は画家か飛行機を作る技術者という夢があったようですが、交通事故多発により脳を損傷し死亡する人が多くもっと優秀な脳外科医が必要と知り、脳外科医を目指すことにしたそうです。
1967年:北海道大学医学部に入学。
1973年:同大学を卒業すると同大学の脳神経外科学教室に入局。
その後旭川、釧路、美唄などの関連医療施設で6年研修。
1980年:伊藤善太郎医師に弟子入りするために、国立療養所から秋田脳血管研究所へ転勤。
1982年:伊藤善太郎医師が44歳で事故死でショックを受ける。
1985年:北海道大学に戻り脳神経外科助手になる。
その後は、藤田医科大学の佐野公俊医師に、手術の相談や指導などを受けるようになる
1992年:旭川赤十字病院脳神経外科部長。
「人生を手術する」をモットーに自分の力が必要と言われれば日本中の病院に足を運び、脳血管手術や脳腫瘍の摘出手術などを手がけています。
特に脳動脈瘤のクリッピング手術では年間300件・累計20,000近い手術を行い、「脳血管に関わる手術で日本一」「匠の手を持つ脳外科医」と呼ばれるようになりました。
また、上山式マイクロハサミを開発し、今や全国の脳外科医が使用されてるといいます。
2012年:社会医療法人禎心会 脳疾患研究所 所長。
2021年12月:五日市記念病院 脳神経外科特別顧問。
上山博康医師は症例数日本一の脳神経外科医であり、その技術は「匠(たくみ)の手」と称されています。
脳神経手術の世界的権威である福島孝徳医師も、上山博康医師の腕を認めていて「もし僕が脳血管の手術を受けるなら上山先生にしてもらう」と言われたほどです。
芸能人では、2度のくも膜下出血で倒れた星野源さんの手術を担当。
1度目は2012年12月、しばらく休養されて復帰を果たしましが、2013年2度目のくも膜下出血を再発。
手術は成功し同年9月に退院し翌年2月には復帰コンサートを行えるまでに。
心配された言語障害や麻痺などの後遺症もなくリハビリで完全復活されてます。
2018年にDJ KOOさんは、「主治医が見つかる診療所」番組の企画で人間ドックを受診し動脈瘤が見つかりました。
9.8ミリの「脳動脈瘤」が視神経を圧迫していて、失明の恐れがあること、破裂すれば助からない恐れがあることを告げられてます。
6時間半に及んだ大手術だったようですが、上村博康医師が執刀され術後の経過もよく現在も元気に仕事をされてます。
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上山博康(脳神経外科)医師の妻・子供ついて!
上山博康(脳神経外科)医師の妻は一つ年下の一般の方のようです。
詳しい情報など見当たらなかったのですが、お二人は上山博康医師が大学3年、妻が大手商社で働いてる頃に出会ったそうです。
上山博康医師の妻は初対面で「この人と結婚することになる」と思ったそうですよ。
凄いですね、何かピンとくるものがあったんですね。
その後お付き合いを重ね交際から2年ほどたつと、駆け落ち同然で一緒に暮らし始めたんだそうです。
当時自分自身がもてるずがないと思いこんでた上山博康医師、近づいてくる女性は医者という肩書を狙ってくるのだと警戒してたんだそうでが、妻は違ったと。
お子さんが生まれてからは、家族サービスもしっかりとされてて、家庭を顧みずに仕事一筋の先生ではなかったようです。
上山博康医師は以前にインタビューでこう答えてました。
「僕の家は『奇跡の家庭円満』と言われてるんです。家庭を顧みず、普通ならとっくに離婚されているはずの僕のところが家庭円満なのは、ひとえに奥さんが偉いからだってみんな言います。でも、僕もそれなりに努力してきたんです」
引用元:https://medical.jiji.com/column/49?page=1
上山博康医師が努力されてたこと。
・当時無理してキャンピングカーを買って、赤ちゃんの頃から連れ歩き、よく出かけてたそうです。
家の中では母親がスーパースター、でもアウトドアではカヌーに乗ったり、小麦粉にビールを掛けて発酵させてパンを作ったりと、父親の貫禄を見せてたようです。
・どんなに忙しいさなかでも、子どもたちが小さい頃には週1、2回は必ず外食に連れて行ってた。
・ゴルフに誘われても一切行かず、趣味のフライフィッシングもやめ、土日は子どもたちと共に過ごした。
医者という職業柄、毎日が忙しいなか、家族サービスもちゃんとやられてたのには驚きましたね。
リタイアしたら妻と、夏は北海道の北の方、冬は沖縄でゆったりした生活をされるのが夢だそうです。
上山博康(脳神経外科)医師は現在も診察してる?
上山博康(脳神経外科)医師は現在、五日市記念病院 脳神経外科特別顧問をされています。
脳神経外科は上山医師の指導のもと、患者さんへの高度な脳神経外科手術治療の提供や若手脳神経外科医師の育成に尽力していきます。
引用元:https://www.seifu.or.jp/news/1504/
なので、脳神経外科の外来診療スケジュールにも、上山博康医師の名前はありませんでした。
現在は、五日市記念病院 脳神経外科にて、極めて専門性の高い高度な技術を必要とする脳神経外科治療に対し指導をされてるということでした。
社会医療法金 清風会 五日市記念病院
住所:〒731-5156 広島県広島市佐伯区倉重1-95
電話番号:092-924-2211
ホームページ:https://www.seifu.or.jp/imh/index/
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