日本で始めて点字での司法試験に合格された全盲弁護士、竹下義樹先生。
司法試験に合格するまでの道のりは、平たんではなく苦労の連続だったと語られてます。
そんな竹下義樹先生について紹介します。
目次
竹下義樹先生のプロフィール
出典;http://tsukushilo.com
プロフィール
名前 | 竹下義樹(たけしたよしき) |
生年月日 | 1951年2月生まれ |
年齢 | 69歳(2020年現在) |
出身 | 石川県輪島市 |
全になられたのはなぜ
竹下義樹先生は、中学生の時に体格が良いということから相撲部に入部されました。
14歳のときに相撲の練習中の事故で目に異常を感じ、眼科で診察したところ外傷性網膜はく離と診断され、20代までは光をとらえ人の輪郭も分ってたそうです。
外傷性網膜はく離と診断された後は、石川県立盲学校理療科へ入学し1969年 3月卒業。
高校は京都府立盲学校普通科専攻科へ入学し1971年 卒業。
30歳前後に視力を完全に失い、「全盲」になられました。
網膜はく離とは、眼の奥にある光を感じてそれを伝える神経綱膜ですが、外傷によって部分的または全体的に綱膜が避けるか、眼の奥を覆う下層から網膜が分離(剥離)することを言います。
竹下義樹先生は龍谷大学へ進学
大学名;龍谷大学 |
場所;〒612-8577 京都市伏見区深草塚本町67 |
電話番号;075-642-1111 |
URL;https://www.ryukoku.ac.jp/ |
竹下義樹先生が龍谷大学へ進学したのは、弁護士がカッコ良かった!というのもあったようですが、夢を持たなきゃいけないとも思ったからだそうです。
それは、竹下義樹先生が高校2年から3年にかけて、友達と進路の話になったときのことです。
普通高に通ってた友達は大学、就職と色々な進路があることに、ショックを受けたそうです。
当時は、盲学校へ通われてる方たちの仕事といえば、針灸マッサージ等に限られていました。
なので竹下義樹先生も当然、鍼灸マッサージ以外の選択肢がないと思い込まれていたそうです。
その当時、テレビや小説で活躍している弁護士、警察官の姿が思い浮かび’「これだ!弁護士」と思ったそうです。
インスピレーションですね!!
担任の先生に相談したところやはり止められたようですが、夢の実現のため一生懸念にお願い説得され、担任の先生も承諾しそこから受験に向けて猛勉強を始められたそうですよ。
そして当時、視覚障害学生を受け入れてくれた龍谷大学法学部へ見事合格!!
大学を卒業してからが大変!!
当時、視覚障害の人が、司法試験の勉強をする環境は整ってませんでした。
未整備でどう勉強されたのでしょうか?
竹下義樹先生は、多くのボランティアさんの力を借りて勉強を続けられたそうです。
『六法全書』を点字で読めるよう、点訳をしてもらい、専門書の音声化も手伝ってもらったりと、一人では勉強できなかったでしょうねと言われてます。
ただし、この時点では点字による司法試験制度は始まってなかったそうです。
法務省に点字での試験の問い合わせをした所、返ってきた回答が「視覚障害のない人と同条件で、通常の試験を受けるように」と回答があったそうです。
日本国憲法第14条は、「法の下の平等」を保証していますが、当時の政府は。「盲人扱いしないことが平等だ」という立場で点字受験を冷たく拒否されたんですね。
障害という立場の人達への、考え方の相違がとても残念だなと感じてしまいますね。
ですが、竹下義樹先生の素晴らしいところは、ここで諦めなかったことです。
夢と言うのは生きていく上でとても大きな力になると思います。
その夢をあきらめない気持ちが、周りの人を動かしたようですね。
学生の時には学部を超え支援の輪がが広まり、大学を超えて京都大学、同志社大学、立命館大学など京都市内の多くの大学、大学院の学生たちも支援に加わったそうです。
そして同じ障害を持つ視覚障がい者の方々です。
竹下義樹先生の思いは国会も動かすことになり点字受験の必要性を強く主張し、その結果政府・法務省も従来の立場を変えて点字での試験を認める事になりました。
そのおかげで竹下義樹先生は司法試験を受けることができるようになり、9回目の司法試験で合格されました。
多くの障がい者の方達にも応援してもらった以上、彼らのために働く弁護士になりたかったとおっしゃっています。
8回司法試験に落ちても諦めなかったのは、「自分なら当事者の目線に立てる、いや、役に立たなければならない」という強い思いが、諦めることを許さなかったのでしょうね。
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竹下義樹先生の評判は?
出典元;http://nichimou.org
竹下義樹先生が障害者のために働くと覚悟を決め取り組まれた一つに、障碍者差別解消法があります。
2013年には障害者差別解消法の制定に携わり、2016年4月1日から施行されることになりました。
また、山口組組長を相手どった裁判の弁護団長をつとめて勝訴されています。
1995年に生活保護を廃止されたホームレス状態の人が行政を訴えた裁判でも原告を弁護して勝訴し、福祉のあり方に一石を投じました。
この結果を見るだけでも、凄腕弁護士としての評判を世間に知らせているのではないでしょうか?
竹下義樹先生は現在、新型コロナウイルスの影響が長引く中、生活困窮者を支えることに尽力されています。
現在、竹下義樹先生は現在つくし法律事務所所長として働かれています。
事業所名称;(京都)つくし法律事務所 |
(東京)弁護士法人つくし総合法律事務所 東京事務所 |
所在地;(京都)京都市中京区間之町通夷川上ル楠町601番地3 楠町ビル3階 |
(東京)東京都新宿区新宿1丁目4番13号 溝呂木第2ビル6階60B号室 |
TEL/FAX;(京都)075-241-2244 / 075-241-1661 |
(東京)03-6380-1088 / 03-6380-1087 |
ご自分のかかえるハンディキャップを乗り越え,社会的弱者のために闘う弁護士、竹下義樹先生の今後の活躍にも期待していきたですね。
2020年9月21日(月) 22時00分~22時45分NHK
山里亮太さん司会の逆転人生「武闘派!日本初の全盲弁護士」として紹介されます。
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