こんにちは、KIKOです。いつも記事を読んで頂きありがとうございます。
スケートのショートトラック・吉永一貴選手、10代で初の平昌オリンピックを経験してから4年、今回の北京オリンピックでは日本の若きエースとして注目度も高く期待されています。
そんな吉本一貴さんの母親も元ショートスケート選手で日本だけではなく、世界のトップで活躍されていた方です。
親子2代で日本のショートスケート界を牽引するって凄いですよね。
そこで今回は吉永一貴選手の気になる
・母・父・兄について
・顔の傷とは?
・尾張旭市出身で地元賑わう
等にいついて調べてみました。
目次
吉永一貴選手の母・父・兄について
プロフィール
名前 | 吉永一貴選(よしながかずき) |
生年月日 | 1999年7月31日 22歳(2022年1月現在) |
出身地 | 愛知県尾張旭市 |
所属 | トヨタ/中京大学 |
身長・体重 | 175㎝・65㎏ |
種目 | ショートトラック |
趣味 | ラップ・ゲーム・映画鑑賞 |
吉永一貴選手の母
吉永一貴選手は、母・美佳さんと二人三脚でオリンピックを目指してきました。
というのも、母親の美香さんはショートトラックスピードスケートの元選手。
旧姓を加藤美佳さんと言いますが、1980年代に活躍し全日本女王になられた方です。
また叔母の三善さんは世界選手権女王に輝いたと言うショートトラック界では有名な家族ですね。
そんな吉永一貴選手、幼い頃から英才教育を受けて来たのかと思ったら全然そうではなかったんですね。
小学2年生の時に母親に連れられて見に行ったショートトラックの大会、カッコよさに憧れて「やりたい」といったのが始まり。
本人の意思を尊重しながらも、どうせ続かないだろうなと思いながら週1でスケート教室へ通うさせることに。
当時、母・美佳さんの思いは、中学受験をさせるつもりでいたようですね、スケート漬けの毎日ではありませんでした。
塾や英会話にも通ってたので、小5ぐらいからは受験勉強をさせるつもりだったそうです。
吉永一貴選手が高学年になると大会でも結果を残すようになります。
それでも母・美佳さんは中学受験を諦めきれず、塾から家庭教師に切り替えて勉強も励ましていたと言います。
そんな母・美佳さんの思いとは別に、滑ることが楽しく結果を出し始めてることで更にスケートにのめり込むようになっていった吉永一貴選手。
そうなると家族会議ですよね、、、最終的に「スケートをやろう」となり母・美佳さんとの二人三脚が始まることになったと言います。
元全日本女王の母・美佳さんだからこそ分る氷の上は危険!!
ショートトラックというスピードを競う世界、選手同士が接戦しながら滑るので危険な目に合うこともあると言います。
母・美佳さんは「やるんだったら、中途半端な気持ちでやらないで」と伝えたと言います。
中学生になると、母・美佳さんは毎朝5時に起きて弁当を作りに学校やスケートリンクまでを車での送迎。
2017年春から半年間、韓国へ武者修行にいかれてますが母・美佳さんも同行し料理で栄養管理をしながら食生活の改善にもされたと言います。
まさに二人三脚、やらからには中途半端な気持ちでやらないで!の言葉通り、頑張られてるのが分かります。
吉永一貴選手の父
吉永一貴選手の父親は今年61歳になられると言う情報はありますすが、それ以外の 情報はネットでは見当たりませんでした。
吉永一貴選手の兄
吉永一貴選手には12歳離れた兄がいます。
現在結婚やどんな仕事をされてるのかなどの情報も、ネットで探せませんでした。
吉永家の情報は母親意外詳しく知ることはできませんでしたが、家族仲は良いようで一貴選手が高校生の頃、練習で夜11時頃に帰ってくることもあったそうですが、それから家族4人で夕飯を食べていたと言います。
家ではリラックスしてもらうため、スケートの話はしないのがルールだったそうですよ。
吉永一貴選手の顔の傷について!
出典元:https://rokou.net/kazuki-yosinaga/
吉永一貴選手の画像、向かって左側の頬に傷があるのが分かりますか?
中学2年生の時に、女子選手の練習相手としてソチ五輪の合宿に参加していた時に、前にいた選手のブレード(スケート刃)が右頬に当たり大きな傷を負ってしまいます。
その時の母・美佳さんの言葉が凄く冷静で、「ああ、足じゃなくて顔で良かった。顔なら、練習を休まなくて済む」でした。
一歩間違えば右の目、失明してたかも手れないと思うと怖いですよね。
母・美佳さん、後で考えたら怖くなったそうで、顔を見るまでは心配だったそうですが競技を辞めたらというのは母親の気落ちで、息子が続けたいと思ってるならその気持ちを尊重したいと。
結果、吉永一貴選手選手生活を続けています。
夢はオリンピック!!
母・美佳さんの時代にはスピードスケートがオリンピック種目になく、自分が頑張ってオリンピック代表になり母親を連れて行くことが、親孝行でもあり目標にもなっているんですね。
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吉永一貴選手は尾張旭出身で地元が盛り上がる
吉永一貴選手は、愛知県尾張旭市の出身。
地元の尾張旭市立白鳳小学校➡名古屋経済大学市邨中学校➡名古屋経済大学市邨高校を卒業されています。
昔通ってたしょどうの先生は、吉永一貴選手のことを負けず嫌いで頑張り屋さんと。
床屋の店長は、集中力が凄く漫画を読んでるときは、名前を読んでも気づかないほどだと。
吉永一貴選手を知る人は、真面目で誠実な感じだとみなさん言われてます。
今回、2018年に続き2度目の出場、前回の悔しい思いを全てぶつけて欲しいと、尾張旭市役所1回ロビーにて応援メッセージ投稿ブース設置もされています。
出典元:https://www.chunichi.co.jp/article/402642
こちらは地元尾張旭市の応援動画
吉永選手は「ケガをするなどの経験をして気持ちの面で強くなり、筋肉も増えてスピードが出るようになった」と、4年間での成長に手応えを示していま
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