こんにちは、KIKOです、いつも記事を読んで頂きありがとうございます。
12月13日月曜日(22:00~2245)の逆転人生に、元プロ野球選手の横田慎太郎選手が出演されます。
阪神タイガースで6年間プレーをした横田慎太郎選手ですが、病気のため2019年に引退を決意されました。
糸井二世と評されるほど期待され、身体能力がとても高い選手だっただけに、病気が分かると本人はもちろん家族や球団メンバー、ファンに大きな衝撃を与えたと思います。
引退されてから2年、どう病気と向き合ってきたのか?
現在、その病気も完治されたのか?
仕事は何をされてるのか?等、気になるところです。
そこで今回は横田慎太郎選手
・病気は完治した?
・母の言葉に励まされた闘病生活
・現在の仕事は何?
と題して調べていきたいと思います。
追記
横田慎太郎さんが7月18日に息を引き取られました。
2022年3月脳腫瘍が再々発され、2023年春には治療を終え療養に入ってたところだったようです。引退後はセカンドキャリアとして自身の経験を伝える講演活動に力を注いでいました。病状が悪化してもリモートでの講演活動を行うなど、生きることを決してあきらめずに頑張られていたようです。
目次
横田慎太郎病気は完治した?
横田慎太郎選手は、生存10%とも言われる脳腫瘍と、脊髄にできた腫瘍と2度に渡る病気と闘い、打ち勝ってきた方です。
一度目の脳腫瘍が見つかったのは、2017年2月の沖縄で行われてた春季キャンプでした。
夜中トイレへ行こうと目を開けると、世界が割れたように視界がゆがみ、焦点が定まらなくなったと言います。
もちろん練習は速ストップとなり手術と治療に専念する為の入院生活が始まりました。
治療はだいぶきつかったと言われてましたが、「また野球がしたい」という気持ちが強く前向きに治療に専念することができたと言われてます。
抗がん剤治療と放射線治療の両方を行われてたとしたら、かなり辛い治療になったはずです。
私も義理姉が脳腫瘍を患い、治療の辛さをみてたので、横田慎太郎選手の大変さ辛さも想像できます。
治療から半年後の9月には「寛解」といわれ、チームに戻り、リはビリをしながら復帰を混ざすことに。
症状が消えて安定した状態となることを寛解といいますが、横田慎太郎選手の場合、頭痛や首の張りが消え、視力も以前の状態にはほど遠いですが日常生活にはさほど不自由しない程度までは回復されたと言います。
二度目の腫瘍が見つかったのは2019年、既に現役を引退されていて癌は100%完治したと思ってだけにショックはとても大きかったと言います。
足の感覚がない感じがし、腰も座って立ち上がったり、起きたりすると激痛が走ると言う、体の異変が1か月程続いたことで診察に行かれたんですね。
「脊髄に腫瘍ができてます」と言われたときにはショックで、またかと言う思いも込み上げてきたそうです。
再度入院治療生活が始まりますが、今回の治療では選手の時と違い目標もなかったので厳しかったそうです。
そんな横田慎太郎選手が見付けた目標が、
「病気に打ち勝って、元気になって、苦しんでいる人の力になりたいと思った。」でした。
そこからは前を向いて治療と向きあうことができ今度こそは、という気持ちが強くなったと言います。
横田慎太郎選手、なぜ自分だけ病気になるんだろうと思わなかったのか?という質問にこう答えています。
「最初は思いましたけど、治療やっていく中で神様からの試練だと思うので、絶対に乗り切ってやると。絶対に人の役に立ちたいと思ってました」
引用元:https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2021/04/27/
「まさか25歳までに2回も大きな病気が来るっていうのは神様も絶対に乗り切れると思っているということだと。絶対に、あのバックホームじゃないですけど奇跡とかそういうことが起きると信じて1日、1日、元気になれると思って過ごしていました」
引用元:https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2021/04/27/
現在は脊髄の腫瘍も「寛解」と言われ普通の生活に戻られてるそうです。
2019年引退試合でみせた奇跡
横田慎太郎選手の視力回復は思うように良くならず、一度も試合に出ることなく2019年に引退を決意されました。
球団やメンバーファンから愛され、惜しまれながらの引退。
引退試合では、8回途中出場され奇跡のバックホームをされています。
素の動画がこちら
横田慎太郎選手がセンターの守備についた直後、打球はセンターめがけて飛んできたボールをしっかりとグラブに収めキャッチャーめがけてバックホームされたんです!
「野球の神様っているんだな」と言われ、本人も驚いてたようで、後日インタビューにこう答えてました。
「打球は見えていなかったんです。いつもなら後逸するか、顔に当たっていたボール。最後にこの打球かと思ったけど、いつもより何十倍も体が動いて。今思い出しても鳥肌が立ってくる。考えられないというかあんな打球を捕ってよく投げたなと。本当に神様か誰かが、全部やってくれた。今まで見てくれた感じがしました」
引用元:https://real-sports.jp/page/articles/338562867563332860
横田慎太郎選手、母の言葉に励まされた闘病生活
横田慎太郎選手が脳腫瘍と診断された当時、母親のまきさんは仕事をされてましたが、大阪の病院で治療をする息子のために仕事を辞めています。
当時22歳だった息子に「生きててさえいてくれれば」それだけでいいい、野球が出来なくなっても、、、
いつも明るく接し「逃げずにみんなでがんばろう」と言って、に献身的に支えてくれてたと言います。
余りにもきつすぎる闘病の苦しさに、初めて「もう治療をやめたい」と母に弱音を吐いたことがあったそうですが、きっぱりと叱咤(しった)激励され「乗った船は途中で下りられないよ。最後の港で一緒に下りよう」と!!
入院生活中は良く母子で笑うことも多かったと言う二人、母親の愛情や強さも感じます。
2度目の入院ではコロナ禍で本らなら家族は付き添いできない状態でしたが、母親のまきさん、
「病室から一切出ないので、息子が退院するまで一緒にいたい」と先生にお願いされていたんですね。
横田慎太郎選手も、母親がいてくれたお陰で前向きにもなれたし頑張れたと。
横田慎太郎選手の現在の仕事は?
横田慎太郎選手の現在、イベントや講演会にコラムの執筆のお仕事をされています。
闘病中に悩んだことや苦しんだこと、家族に支えられ多くの人に励まされてきたことなど、自身の経験談を元に諦めないことの大切さを伝える講演活動もされています。
2015年5月には「奇跡のバックホーム」という自信の半生綴った著書を刊行されています。
出典元:https://www.gentosha.co.jp/book
また、2020年8月から阪神OBの川藤幸三さんとYouTubeチャンネル、「川藤部屋」にプロデューサーと言う肩書で参加されています。
実は横田慎太郎選手、阪神を退団するときにセカンドキャリアとしてアカデミーコーチ就任要請を受けてたそうですが、視力に不安を抱えた状態ではいくら子どもたちに教えると言っても仕事になると厳しいと思い断られてたんですね。
コメント