こんにちは、KIKOです。いつも記事を読んで頂きありがとうございます。
篠原ともえさんがおしゃれクリップ1月14日(日)22:00〜22:30へ出演されます。
篠原ともえさんといえばデビュー当時から明るいキャラクターとカラフルな衣装が特徴でしたよね。
そんな彼女のフアッションを真似てシノラーブームを巻き起こすなど、すごい人気でした。
当時から衣装は自分でデザインされてたそうで、衣装担当者の方たちからも一目置かれてたようです。
現在は白黒などモノトーンの色をかっこよく着こなすなど、落ち着いた大人の女性になられて素敵に年を重ねられてきたんだなぁという印象があります。
何がきっかけでシノラーからデザイナー篠原ともえへと転身していったのか?気になりますね。
そこで今回は篠原ともえさんの気になる
・フワちゃんと似てる?
・シノラーからの転身で現在はデザイナー
等について調べてみました。
目次
篠原ともえさんフワちゃんと似てる?
篠原ともえさんの個展「SHIKAKU」展にお邪魔させていただきました😝😝😝
7/20までヒカリエでやってるからみんなもチェケまくり! pic.twitter.com/eiQFE2FsgM— フワちゃん FUWA (@fuwa876) July 5, 202
篠原ともえさんはフワちゃんにとって、「3歳から恋焦がれている」「ジャパニーズカワイイの師匠だし、神」なんだそうですね。
シノラ―フアッションの篠原ともえさんとフワちゃん、比べてみるとこんな感じ。
つか篠原ともえフワちゃん似てる説、既にいっぱい出てた。 pic.twitter.com/KF9y6By0ch
— キモ氏@ (@DJ_KIMO) May 8, 2020
原色カラーにお団子にした髪型や短い前髪、そしてテンション高めなところなどは二人とも似てますよね。
篠原ともえさんは自分の好きなものを身に着けていたらこうなった的な発言をされてましたが、衣装に関しては自身でデザインされてたんですよね。
フワちゃんの衣装はメルカリやサマンサタバサのブランドで購入されてるとかいう声もあるようですが、現在は専属スタイリストの方が服の色やデザイン、組み合わせなどされてるそうです。
フワちゃんにとって篠原ともえさんは憧れの存在、衣装に影響うけるのは必然かもですね。
では、そんな二人の違いはというと、世間では敬語かタメ口かの違いという声があります。
篠原ともえさんはデビュー当時から、まわりの方たちには敬語で話されていたようです。
また、きゃぴきゃぴと明るく元気なキャラクターで、バラエティ番組でハチャメチャな言動もされてたようですが、ちゃんと場をわきまえることができてとても礼儀正しかったと。
フワちゃんは現場でも基本的にはタメ口で行くそうです。
あの和田アキ子さんにもタメ口で、可愛がられてるそうですよ。
そんなフワちゃん、高嶋ちさ子さんには敬語なんだとか。
一度共演されたときにタメ口だと、拳で殴られるかも?と思ったからだそうですよ。
篠原ともえさんシノラーからの転身
篠原ともえさんは1995年、16歳のときに「篠原ともえ+石野卓球」名義のシングル「チャイム」で歌手デビューされています。
とにかく明るく何時もニコニコされてるイメージが強く、キャラ作りだったのかな?と思う人もいたようですが、それは本人が否定。
《それは違います。テレビの世界に飛び込むという夢が叶い、完全に舞い上がっている少女の姿がそのまま画面に映し出されていた感じ。喜びを抑えきれなくて、グフグフになっちゃいました(笑)。だから、計算も演出もゼロでした》と。
引用元:https://bunshun.jp/articles/-/11297#goog_rewarded
そして当時のフアッションはこんな感じでした。
10歳の頃からデザインに興味があったそうで、人形の服や小物を自作しては楽しまれてたようです。
高校は絵を描くことが好きという思いから、東京都立八王子工業高等学校(現・東京都立八王子桑志高等学校)・応用デザイン科に進学。
幼いころからデザインしていくことには興味があったようで、色彩の選び方などは自身のもつセンスなどから来ていたのでしょうかね?
歌手としてデビュー後の衣装はすべて自分でデザインし制作してもらうほど、ものをつくることに強い興味とこだわりがあったそうです。
10代は歌手活動のほかにバラエティ番組への出演と忙しく活動。
歌手としてデビューされていますが、気持ち的には「ステージやメディアでの表現もしたいけれど、ものづくりもしたい」という気持ちをずっともってたと言います。
当時17歳の篠原ともえさんの気持ちを押してくれたのが吉田拓郎さん。
二人は音楽番組『LOVE LOVE あいしてる』で共演されていました。
『篠原の洋服を見てると、なんだか僕まで楽しい気持ちになるんだよ。篠原はファッションの才能があるはずだから、デザイナーになった方がいいよ』 拓郎さんは、私のひそかな夢を言い当て、背中を押してくださった方でもあるのです。
「『僕がいろんな人に曲を作ったように、篠原の“アイデア”をみんなに届けてゆくんだよ』。
引用元https://web.archive.org/web/20220702221211/https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202207020000370.html
高校時代からえの勉強はされてたようで、大学は文化女子大学短期大学部・服装学科に入学し、芸能活動で忙しいなか1度留年をされて卒業されています。
在学中には「しのコレ〜21世紀に作る21歳の篠原ともえがデインする21体の服〜」フアッションショーを開催や、作詞・作曲・衣装デザインを手掛けたミュージカル『天使からの招待状』で初舞台も経験。
22歳で、ミュージカル「ありがとうサボテン先生」出演し、自身初のコスチュームデザイナーとして参加されています。
23歳では竹中直人の会『月光のつゝしみ』に出演し、はじめてのストレートプレイを経験。
20代は歌やテレビの仕事から、表現の場を舞台・ミュージカルへと活躍の場を移されていきます。
そんなか、表現者篠原ともえとして、自分がデザイン担当するならどういったものが自分らしいのかを常に考えディスカッションをよくされてたそうです。
そして時間さえあればデザイン画やアイディアを書き溜めてはプレゼンテーションをしたりと。
そんな篠原ともえさんの感性やアイデアは、意外な大物人物の目に留まることに。
それがラジオで共演された松任谷正隆さんで、松任谷由実さんのステージ衣装を手がけることに。
そこから衣装デザイナーとしても認められるようなり、嵐のステージ衣装なども担当し、デザイナー篠原ともえさんという地名度を上げていくことに。
36歳の時にはデビュー20周年を記念し、『篠原ともえ&シノラー展』と題しこれまでデザインしたライブ衣装やグッズ150点以上を展示した個展を開催。
39歳では、アッシュペーフランス主催のファッションとデザインの合同展示会「rooms EXPERIENCE 37」にて、幼少期から描いた約150枚のデッサンを初公開。
42歳で、世界で最も歴史のある「ニューヨークADC賞」という広告賞を受賞し、世界的デザイナーの仲間入りをした。
43歳では「OMO7大阪 by 星野リゾート」のスタッフ用ユニホームのデザインおよび製作監修を手掛けてます。
そして43歳で再度、第101回ニューヨークADC賞でシルバーキューブとブロンズキューブの2冠を達成
この時のデザインが革の着物の作品で、ザ レザー スクラップ キモノ(THE LEATHER SCRAP KIMONO)でした。
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