こんにちは、KIKOです。いつも記事を読んで頂きありがとうございます。
トレジャー・ファクトリーの野坂英吾社長が、〜
トレジャー・ファクトリーは、難しいとされていた総合リユースショップの多店舗展開に成功した企業で、創業以来24年連続増収を達成。
資金30万という格安でスタートされたリサイクルショップも、現在では年商300億円に迫る勢いで急拡大されてるそうです。
当時、リサイクルショップは儲からないよと言われたそうですが、ビジネスとして勝機を見出し突き進んできた、野坂英吾社長とはどんな人なンでしょう?
今回は野坂英吾社長の気になる
・出身
・年収
・結婚(妻・子供)
・中学で社長宣言とは?
等について調べてみました。
目次
野坂英吾社長の出身は?
野坂英吾社長(トレジャーファクトリ―)は神奈川県出身。
1972年5月6日生まれで現在51歳で、3人兄弟の長男です。
商社に勤めてた父親の仕事の関係で、シンガポールに2歳から10歳まで住んでたそうで、帰国子女でもあったんですね。
シンガポールではソフトボールをされてたそうで、5年生で帰国したときにはすぐにリトルリーグに参加。
その後、中学ではシニアリーグに、高校では硬式野球部に所属するというスポーツ中心の生活を送られています。
子供のころの性格は、目立とうとしない消極的な少年だったそうです。
それが、帰国子女ということで「凄いやつが来た」という目で見られ、何かすごく期待されて戸惑ったと話されてました。
ですが、性格とは裏腹に期待に応えないとという気持ちは強くあったそうで、できないなりにいろいろ挑戦していったようです。
神奈川県立川和高等学校の野球部は、上下関係も練習もとても厳しい環境だったそうですが、3年生の時にはキャプテンを任されています。
大学は第一志望は不合格だったそうですが、日本大学文理学部には合格されてたということで浪人せずに進学をされています。
一年浪人し第一志望の大学を目指す方法もありながら、そうしなかった理由が凄いです。
どんな大学に行っても大学で学べることには限りがあります。1年間浪人するよりも、社長にな るために自ら考え情報発信していくことのほうが重要だと考えたのです。そうやって大切な何かと出合い、つながっていけばいいじゃないかと。
引用元:https://www.dreamgate.gr.jp/contents/case/interview/34484
大学入学後は陸上部に所属し、バイトにも励まされてたそうですが、周囲にはことあるごとに、「将来、絶対に社長になる」と公言してたようです。
また、学園祭をコンテンツにしたプロデュース会社で1年間インターンシップを経験。
会社の仕組み、お金の流れ、事業は永続させてこそ意味があるということなどを学ばれたそうです。
野坂英吾社長の年収
野坂英吾社長(トレジャー・ファクトリー)の年収は、どれくらいあるのか気になりますよね?
そこで調べててみたところ、およそ3,721万円と推測されます。
その理由は、株式会社トレジャー・ファクトリーの有価証券報告書によると、役員報酬総額は9304万円で役員数は4名です。
社長はその他役員のおよそ2倍程度の報酬額となるケースが多いという理由からです。
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野坂英吾社長結婚(妻・子供)は?
野坂英吾社長(トレジャー・ファクトリー)は1998年に結婚されてて、3人の男の子がいます。
妻や子供達の年齢や名前などの情報は見当たりませんでしたが、トレジャー・ファクトリーの専務取締役・野坂淳さんと名前があるので、長男なのかもしれないですね?
プライベートなことはインスタグラムようやツイッターなどにも、載せないように徹底されてるような感じですね。
2007年当時のインタビューでは、休みの日には家族でドライブを楽しまれるともいわれてました。
まだお子さんが小さですよね。
忙しいながらも、いろんなところへとドライブする、優しい父親だというのを感じます。
また、新婚旅行で行ったのがシンガポールだったそうで、あれ以来一度もいってないそうで夫婦でまた行きたいともいわれてました。
野坂英吾社長中学で社長宣言とは?
野坂英吾社長(トレジャーファクトリー)は、優秀な会社員だった父を超えるため、中学2年生で社長になると宣言されています。
こんなに早く社長になると宣言できるのも素晴らしいと思いましたが、誰も本気にはしてなかったかもしれないですよね?
子供ながらに社長になると決めたのも、偉大な父を超えたいと強く思われたようです。
すごくやり手の会社員だと、父親の同僚から聞かされてた小学生時代。自然と父親を超えるためにはどうすればいいか?そんなことを考える子供時代を過ごしてたそうです。
そして中学2年生の時に出した結論が、自分なりのオリジナルのやり方で、会社員ではなく、社長になるということ。
それからは身の回りに起きることをすべて、 社長になるためにはどうすれば良いかという機軸で考えるようになり、自分でそう意識するように、日々、努め始めたそうです。
大学時代にオリジナルのやり方で社長になるにはどうしたらいいのか?考え模索される中、起業家の講演会で出会った福島正伸さんのアドバイスに真剣に向き合うことに。
それは「身の回りのことから50個、あったらいいな、できたらいいなということを書き出してみなさい」と言われたこと。
そこで、ショッピングモールでのアルバイトで、まだ新しく、使える家具や家電製品が捨てられていたことを思い出し、リサイクルショップを経営する事を考えられたんですね。
大学4年時に半年間かけて48軒のリサイクルショップを訪ねて話を聞き、「値段が明確ではない」「保証がない」などの点が繁盛しない要因だと気づかれたそうです。
そして「使い捨てではなく、モノを再活用する社会を創っていきたい」との思いから、1995年有限会社トレジャー・ファクトリーを設立。
トレジャー・ファクトリーは、難しいとされていた総合リユースショップの多店舗展開に成功した企業として注目されてるようです。
「ホビー・楽器」や「アウトドア」など…圧倒的な品揃えの専門店の展開。
「トレファク引越し」や「生前整理」など、人生の様々な節目とリユースをワンストップにした便利なサービスの数々は、私たちの日常生活に上手く合致したサービスだなと思いますね。
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