こんにちは、KIKOです。いつも記事を読んで頂きありがとうございます。
全盲のスイマー木村敬一選手の特集が、スポーツ×ヒューマン 4月16日 (火) 1:20 -2:06 NHKにて放送されます。
テレビ出演では全盲であることにユーモアをまじえた話など、明るい性格やとても前向きなかたのような印象を受けます。
2021年には結婚もされたそうで、現在は仕事に競技と充実されてる毎日を送られてるのではないでしょうか。
今回は木村敬一選手の気になる
・生い立ち
・大学
・現在の仕事
・星奈津美との関係は?
などについて調べてみました。
目次
木村敬一 選手の生い立ち
木村敬一選手は1990年9月11日生まれの33歳の滋賀県栗東市出身。
全盲と診断されたのは2歳の時で「増殖性硝子体網膜症」と診断されています。
木村敬一選手が伝い歩きを始めた頃から、角にぶつかりよく転ぶことが増え、念のためと連れて行った病院での診断だったようで、ご両親のショックも大きかったと思います。
最初の手術は2歳4カ月のとき。3回の入院、計7回の手術を経て、ご両親は木村選手を盲児として育てていくことを決心されたそうです。
幼い木村敬一選手に父親は色々体験をさせてきたようです。
バイク好きな父親は息子をミニバイクに乗せて遊ばすことができない代わりに、見えなければ音で速さを感じることができるのではと鈴鹿サーキットへよく連れて行ってたそうです
また、スキーや自転車、ピアノを習わせてみたりと、将棋ができたら将来役に立つのではと思い、視覚障がい者用の将棋盤を手作りしたり。
見て学ぶことができない息子に、手触りや音、匂い、空気で色々なことを体感させたかったと言われてます。
滋賀県立盲学校の幼稚部へは片道1時間かかり、母親が送り迎えをされてたそうですが、小学校へ進学と同時に寄宿舎生活を始めています。
わずか6歳で親元から離して生活させなければならなかったことに、胸が張り裂けそうな思いだったのではと想像します。
小学4年生の時に体力を持て余しているのではと心配された母親の提案で、体力づくりのためにと、スイミングをすすめて初めてます。
中学は父親の勧めで中学受験をし、筑波大学附属視覚特別支援学校(当時の学校名は筑波大学附属盲学校)に入学し水泳部に入部。寄宿舎生活は続いていきます。
当時を振り返り木村敬一選手はこう話されてます。
「小学生の頃も、中学生になってからも、同級生に水泳をやっている子がいなかったこともあり、『泳げること』が自分のアイデンティティであり、武器になっていきました。引用元:https://kidsna.com/magazine/article/entertainment-report-210824-00012626
日本代表のコーチも務める寺西真人先生に打診され、中学2年生から高校生やアテネパラリンピックに出場する選手たちと同じ環境で練習を開始。
寺西真人先生の指導のもと、メキメキと記録を伸ばし、17歳で北京パラリンピックに出場。
競泳男子自由形(視覚障害)で5位に入賞。
100m平泳ぎ(同)で5位入賞。
競泳男子の100mバタフライ(同)でも6位入賞。
ここから金メダルへの挑戦が始まり、日本のパラスポーツ界を牽引する選手へと成長されたんですね。
木村敬一 選手大学
木村敬一 選手は日本大学文理学部教育学科を卒業。
偏差値58~61。
卒業後は日本大学大学院文学研究科教育学専攻博士前期課程へ進学。
在学中は健常者の水泳同好会に入会、高校時代までほとんど一人で練習をしていたので、「水泳は孤独なスポーツだ」と思ってたそうですが、その価値観が変わったと言われてます。
初めて大人数で練習をする環境に身を置きみんなとの練習が楽しく、「仲間がいるから頑張れる」と思えるようにもなったと言われてます。
木村敬一 選手現在の仕事
木村敬一 選手は現在、東京ガス株式会社に所属し仕事をされています。
主な活動はパラスポーツの普及、共生社会実現をテーマに講演活動に取り組む傍ら、テレビや新聞などのメディアに多数出演されています。
なので、デスクワークなどではないようですね。
2020年東京オリンピックの数十年前までは、パラアスリート選手の待遇やサポート体制などは充実されてなかったようです。
木村敬一選手も実感されてるのは、ここ5~6年でいろんな企業のサポートを受けて、トレーニングができるようになったこと。
試合に出続けていることが仕事として成立するようになったのはこの数年で、木村敬一選手はこの一番いい環境を経験した第一世代だともいわれていました。
木村敬一 選手と星奈津美さんとの関係は?
星奈津美さんは2023年㋂から木村敬一 選手のフォーム改善コーチとして、パリオリンピックを目指してきた方です。
東京オリンピックで木村敬一選手は、100mバタフライで金メダルを獲得しています。
一つ目標を達成した後に目指すべきところ、タイムを今以上にあげるには?と考えられたときに、フォーム改善だと思ったんだそうです。
星奈津美さんは日本の元競泳選手で、2012年ロンドン・2016年リオデジャネイロオリンピックの200mバタフライで2大会連続銅メダルを獲得された方です。
また、2015年世界水泳選手権では日本女子史上初となる金メダルを獲得されています。
そんな星奈津美選手と木村敬一 選手は、ロンドンオリンピックでお互い最初にメダルを獲ったという縁繋がりがあり親交があったようですね。
木村敬一選手のフォームを変える、指導することにすごく責任やプレッシャー、もし速くならなかったらどうしようと不安もあったようです。
そんな星奈津美さんに、木村敬一選手はこう話されてます。
「べつにされはそれでいいと。まずはフォームの改善がどこまでできるかが大切で、金メダルをまた獲ることより、そっちにチャレンジしたい、視覚障がい者の自分が可能性を示したいと。」
そんな木村敬一選手の気持ちを知って、星奈津美さんもフォーム改善のコーチを引き受けられたそうです。
泳ぎを変えることは健常の選手でも相当難しいことだそうですが、木村敬一選手は練習の成果を発揮され、パリパラリンピック代表に内定されています。
コメント