こんにちは、KIKOです。いつも記事を読んで頂きありがとうございます。
自転車で南極点到達と誰も経験したこともない大冒険にチャレンジされた大島義史さんが『激レアさんを連れてきた』10月24日(月)23:15〜23:45へ出演されます。
大島義史さんはサラリーマン冒険家と呼ばれることを否定、「自分はサラリーマンです」という。
会社があって自分の好きなことができてるという大島義史さん。
自分が行きたいから行くというスタンスは冒険家、やはり自分はサラリーマン優先すべきは仕事なんだと言われてます。
そんな大島義史さんが南極を目指すきっかけになったのは、高校時代に自転車で遺跡巡りをされたこと。
大学に進むと自転車旅の範囲は国内から世界へと広がっていき、北極海からアメリカ、オーストラリアの砂漠、シルクロードではタクラマカン砂漠と過酷なチャレンジもされてきたようです。
相棒の自転車とともに広がる夢、南極に行くまでには構想から10年、準備で5年かかったそうですよ。
今回は大島義史さんの気になる
・南極で使用したバイクは何?
・学歴・東大卒だった?
・会社はあの大手企業とは?
などについて調べてみました。
目次
大島義史さんが南極で使用した自転車は?
出典元:https://tabi-labo.com/238549/the-south-pole
2016年1月に南極点到達を成功させた大島義弘さんが使用された自転車は、HANE BRINK社「ANTARTICA ALL-TERRAIN」製品だそうです。
この自転車はNASAの技術者によって極地の走行を前提に設計されたもので、幅20cmにおよぶ太いタイヤによって、雪や氷の上でも沈むことなく走行できるんだそうです。
ですが、このままの自転車では南極を走りきることはできないということで、いくつかの改造を経て準備万端で南極走行されたといいます。
実は、大島さんは2013年11月に下見として、南極大陸ユニオングレッシャー雪原を試走されてます。
ですが、後輪のタイヤにスパイクが必要だったようですが、用意してなかったことで試走することができず。
痛恨のミスをおかしたことで、スポンサー、装備、会社の有給の延長もできず、すべてを失い心はズタズタだったと。
そんななかでも感じてた、自分はこういうことになっても本当に南極に行きたいんだということだったそうです。
その思いが消えることなく、3年後には南極行きを実現されてるので、凄いですね。
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大島義文さんプロフィール
出典元:https://morgen.website/2022/02/22/会社員自転車で南極点に行く
名前 | 大島義史(おおしまよしふみ) |
生年月日 | 1984年4月10日 38歳(2022年10月現在) |
出身地 | 広島市 |
血液型・星座 | O型・牡羊座 |
趣味 | マラソン,水泳,護身術,筋トレ,写真,料理,掃除 |
大島義史さんの学歴・東大卒だった?
大島義文さんの学歴を調べてみたところ、小中高の情報はみあたりませんでしたが、大学は東京大学 文学部 考古学を専攻されてました。
子供のころから移籍や古墳に興味があり、高校時代には自転車で遺跡巡りをして楽しんでたようです。
東京大学でも自転車部に入り、仲間と一緒に走ることを楽しんで多様ですが、いつしか
自分の際限はどこにあるのか?と思うようになり部活を辞めて、単独での自転車旅行を始めることにしたそうです。
大学2年のとき、初めて1人で海外遠征へ、約3800キロに及ぶオーストラリア大陸縦断をされてます。
大学4年間で日本をはじめとして北米、ヨーロッパ、アジア、オーストラリアなどで14カ国52000kmを走破されてます。
危険を伴った海外遠征もあったようですが、すべて達成されてきてるのが素晴らしいなと思います。
大島義史さんの会社があの大手企業とは?
大島義文さんの勤める会社はあの大手企業の川崎重工業でした。
南極点を自転車で走行された2016年までは経理担当されてましたが、現在も同じ部署なのかはわかりません。
というのも、大島義史さんは入社以来、不動産部門や工場の管理部門、国際税務など、様々な分野を担当してきています。
会社員なのでずっと同じ部署には留まらないですよね?
現在は大島義史さんのことを理解し応援されてる会社の仲間や上司ですが、初めの頃は、「何をしに企業に来ているのか」と社内で批判されてたそうです。
大島義史さんも「仕事を自転車のサポートとしか見無いダメ社員だった」ともいわれてて、入社1年もたたないうちに辞めたいと上司に相談もされてたんですね。
すると、配属先の工場の固定資産管理態勢見直しを命じられています。
無駄の洗い出しなど重責の重い仕事をこなすうち、仕事への考え方が変わり、「仕事がアルから冒険に、冒険がアルから仕事に全力で向き合える」となったそうです。
そして2011年の秋頃から毎回のように南極へ行きたいと、考課面接の度に大真面目で話す大島芳史さん見る会社の目も変わっていくことに。
南極行きが決まった時も、ソーラーパネルとPC持参で仕事されてます。
仕事でも手を抜かない大島義史さんの性格が表れてるようですね。
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