瀧川鯉斗生い立ちやサーフィンのプロを目指した10代?落語の師匠は誰?

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こんにちは、KIKOです。いつも記事を読んで頂きありがとうございます。

イケメン落語家の瀧川鯉斗さん、身長も高くドラマやファッション誌にも登場されたりとマルチに活躍をされています.

そんな瀧川鯉斗さん、落語家になってなければサーフィンのプロになっていたかも発言をされていました。

身長も高いしサーフボードに乗る瀧川鯉斗さんも、なかなか素敵ですよね。

今回は、瀧川鯉斗さんの気になる

・生い立ち

・サーフィンのプロを目指した10代?

・落語の師匠は誰?

などについて調べてみました。

瀧川鯉斗さんの生い立ち

瀧川鯉斗さんは元暴走族という経歴の持ち主。

学生時代はやんちゃだったと話されてますが、幼い頃はどんな子供だったんでしょう?

東京・調布生まれで4歳頃まで札幌で暮らし、スキーに夢中だったそうです。

小学校3年生の時に、父親の転勤に伴い愛知県名古屋市に引っ越してきています。

運動が得意だったようで、当時は野球のリトルリーグやサッカーのクラブチームにも入っていそうです。

サッカーでは才能を発揮し、中学生時代は愛知県代表に選ばれるほどの実力で、ゴールキーパーとして活躍されてたようですね。

当時から高身長だったのでしょうかね?

瀧川鯉斗さんが通う中学から県代表に選ばれた唯一の選手だったようで、将来はサッカー選手にと思ってたようです。

なので、高校も推薦で行けると自負してたようですが、やはり学校も生活態度を重視しされてたようですね。

『お前のような授業態度が悪い奴に推薦が出せる訳がないだろう』と言われ、推薦をもらえなかったそうです。

サッカーは一生懸命されてても、13歳で「天白スペクター」という暴走族に入り夜になるとやんちゃな人たちの集会に参加してたそうなので、、、

その後、第一志望の高校受験にも失敗し地元でも『悪い奴が行く学校』で知られる高校へ入学。

ところが、当日100人くらいの先輩達に喧嘩を吹っ掛けられてボコボコに殴られる大事件発生。

中学時代のやんちゃぶりがすでに先輩達の間では噂になってたんですね。

結果的に先生に呼び出されて、入学式の日に退学処分になっています。

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暴走族天白スペクター総長時代

高校を退学後は、13歳で入った「天白スペクター」のメンバーと暴走することに明け暮れてたと言います。

暴走族といっても、当時住んでた辺りでは、珍しくないことだったと言われてます。

昼間はサーフィンのリペアや建設現場や工場などでの仕事、入ったお金でバイクを買い暴走に明け暮れる毎日。

名古屋の尾頭橋(おとうばし)に12時集合が、当時の仲間の暗黙の了解になってたようで、最低でも200台くらい集まり楽しかったなと話されてます。

そのころは警察関係者にも有名な存在で、暴走してると「直也、お前、この野郎、止まらんとパクるぞ」と脅しをかけられるほどに。

16歳で天白スペクターの総長になり、暴走に明け暮れ毎日楽しく過ごしていたようですが、17歳の初日の出暴走を機に引退をされています。

本人曰く少年Aまでの時代でやんちゃことは終わりにしたということでした。

天白スペクターを辞める時にも、仲間からは「総長が言うんですからわかりました」とすんなりいったそうです。

なかまからの人望もあったように感じますね。

役者を目指し上京

瀧川鯉斗さんは役者になりたくて、17歳の終わりに上京。

このままの生活ではダメだと思い、昔から’映画が好きなので漠然と役者になろうという気持ちがあったようです。

新宿のレストランで働き始め少し経ったころ、そこで定期的に開催されていた瀧川鯉昇さんの独演会を見て、「(何役も)演じ分けするすごさ、こんなことできれば」と心を揺さぶられたといいます。

その日の打ち上げで「弟子にしてください」と志願。

「それまで落語とか見たことなかった」ようですが、一人何役もこなす落語家がかっこよく見えたんだそうです。

そして、18歳で弟子入りを認めてられ落語の世界へ。

瀧川鯉斗さんは興味を持ったことはまずは初めて見る、挑戦してみるといわれてます。

新しいことに挑戦することは怖い、でも興味をもったならまずは初めて見ることが大事。その後自分に合わないと思えばやめればいい!と。

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瀧川鯉斗さんサーフィンのプロを目指した10代?


出典元:https://www.fujitv.co.jp/1HSense/bn/story457.html

瀧川鯉斗さんは16歳で高校を退学され、その後サーフィンのリペアのアルバイトをされてました。

それがきっかけでしょうか?サーフィンが好きになり今では趣味の一つだといいます。

もし落語家になってなければ、プロサーファーを目指していたかもといわれるほど。

時間ができたら、サーフィンに行くというほど大好きで、唯一リラックスできる場所なんだそうです。

「日常を忘れますね、何かこう、まっさらになります。何も考えないというか。
海と一体化して動いているっていう…
噺家ですけど、言い表せないくらいの感動があります。
やっぱり高座では“瀧川鯉斗”で、海の中では一人なんで、
やっぱりそこは“小口直也”でいるのかなあっていうのは、すごく思ったりします。僕にとって大事な場所ですね。」

                             引用元:https://www.fujitv.co.jp/1HSense/bn/story457.html

日常の忙しさから解放され、自分に戻れる場所だと言い、波から学ぶことも多いんだそうです。

波が来ないときにはずっと来ないし、突然来るときがあったり、、、

お客さんも波のように、来なかったり突然来たりと、、、

その波に合わせて乗っていったりとか、波長を合わすということはとても勉強になるんだといわれてました。

プロサーファーにこそなりませんでしたが、この素の自分になれる貴重な時間が、落語をする上でもエネルギーとなり、頑張られるところなのかもしれないですね?

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瀧川鯉斗さん落語の師匠は誰?

瀧川鯉斗さんの師匠は瀧川鯉昇(たきがわりしょう)師匠。

役者を目指し上京した時に勤めていた、イタリアンレストラン・赤レンガで落語独演会が開催された際に、初めて観た落語が瀧川鯉師匠でした。

役者を目指し上京されてはいましたが、一人何役もする落語家がかっこよかったと心を揺さぶられ、打ち上げで「弟子にしてください」と志願されています。

後日イタリアンレストラン・赤レンガのオーナーと瀧川鯉昇師匠宅へ挨拶へ出向き、見習い方始めるということで無事弟子入りされています。

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